「あんまり考えすぎない方がいいよ」という忠告

 例の騒動で読者が増えてしまったので、ブログを新しく開設した。仲良くしてくれている友人にはめちゃくちゃ迷惑をかけてしまって本当に申し訳ない気持ちになっている。

 

 今まで20年ちょっと生きてきた中で、一番めげた。というか、今もめげている。これまであまりにも能天気に生きていたからかもしれないけど、こんなに落ち込むんだというレベルでめげている。今でも暗い部屋にいるとフラッシュバックするし、涙が溢れ出すし、過呼吸になるし、 周りの音が突然遠くなってガンガンと反響するし、本当に些細なことで苛々するし、人の話もあんまり入ってこない。わたしがわたしでなくなってしまったような感覚に陥っている。

 

 これまでも同様の被害に遭ったけど、今回は初めて被害を公に訴えた。訴えた意味はあったと自分に言い聞かせているものの、公にしたことでひどいコメントがたくさん寄せられた。正直全てのひどいコメントを暗唱できるくらいには、記憶に焼きついている。

 

 人前でぼろぼろ泣いていると、「何が辛いの?」と聞かれる。被害に遭ったことか、ひどいコメントが来たことか、はたまた自己嫌悪か。分からん。

 

 わたしがどう答えても、心療内科の先生や母や友人から「考えすぎない方がいい」というアドバイスをもらう。尤もだけど、どうやって考えないようにすればいいのか。いつも考えすぎなわたしは、一体どうすれば考えずに済むようになるのかをずっと考えていた。

 

 そんなこんなで今日、友人のブログを読んだ。彼女の言うことが痛いほどよく分かった。 

 

na7elf.hatenablog.com

 

でも。私は考えずにはいられない。

辛くても、苦しくても、泣きそうになっても、毎日毎日、様々なことを考えてしまう。

それは不幸なことなのかもしれない。

考えないで生きられれば…と思うこともある。

 

 違う文脈であることは承知しているけれど、この箇所に深く共感した。彼女は、考えることが苦痛であると理解した上で、思考し続ける選択をする。それが世界と折り合いをつけるための彼女なりの手段であるゆえに。 

 彼女のブログを読むまでは、思考を放棄することだけを一心に考えていた。ライブハウスに足を運んでぼーっと音楽に浸ったり、延々と料理を作り続けたり、人と会ったりして、気を紛らわせようとしていた。でも、どうも上手くいかなかった。一秒でも隙があるとすぐに考えてしまう。

 

 彼女のブログを読んで、わたしは彼女に倣おうと思った。考えることは苦痛を伴うが、それでもわたしたちにとって、たった一つ解決の手段だ。考えることと向き合い、事件と折り合いをつけてゆこうと思う。そのためにも、わたしは書かなければならないし、話さなければならないんだ。